2019年9月のブログ記事
-
-
赤ペン持って読み取れ
この職場になってから初めての避難訓練というか自衛消防訓練を行った。非常時の機器、設備等への慣れは肝心ではあるが、つい後回しになりがちなので、こうした機会にこそじっくり学び、確かめる必要がある。学校現場でも同様だった。要は「いざ」という時に動けること。そのためには、心理的な要素が大きい。 どうし... 続きをみる
-
「いま」の反対語考える今
こんな歌を作り書き留めたことがある。 「いま」と言うときにはもはや今はなく「いま」という音取り残される 「いま」とはいつのことを指すのか…哲学的な問いなのかどうかもわからないが、何か書いてありそうな、読みやすい(笑)一冊を手に取った。 2019読了88 『まんが 哲学入門』(... 続きをみる
-
-
着地の美しさと満足感
運動神経はなかったけれど、小学生の頃に水泳と跳び箱は人並にできていた。 特に跳び箱(当時は台形型だけでなく、長方形型のものもあった)の最高8段を挑み、越した快感は今でも覚えている。 自分が教える立場になろうと思った頃(大学の授業だと思う)、初めて美しさということを意識し始めた。 跳び箱であ... 続きをみる
-
目がショボショボ、秋読書
夏終盤あたりから、少し読書ペースが落ちてきたかな。 目標を持って読書しているわけではないが、体調のバロメーター的な一部になっている気がする。 目がショボショボというのもあるか。 しかし、そのせいなのか、見えてくる箇所が以前と違っているのもまた楽しい。 2019読了86 『架空の球を追う』... 続きをみる
-
ボーッとしてネット散歩
10日ほど前だったか、北海道の堀裕嗣さんがFBにこんな文章をアップしていた。 危機管理は「危機管理」自体よりはどうしても「アリバイづくり」に近づいていくものだ。それが学校を疲弊させてる。無駄とは言わないけれど、ほんのちょっとズレてる。1度、2度のズレも時間がたてば大きなズレになっていく。 今... 続きをみる
-
-
他者の他者であること
「からだのじぶん」と「こころのじぶん」がどうにも一致しなくなった、と思うのは齢をとると誰しも同じだろうか。いや、そもそもそんなふうに分けることの無意味さはわかっているのだが、どうにも別々であると思い込みたいのか。老化の一つの典型なのだろう。それにしても「じぶん」はいつも悩ませてくれる。 2019... 続きをみる
-
-
-
ほんの少しのステップアップ
昨日の読み聞かせに『豆しば』の他に選んだのは『このほんよんでくれ!』という絵本だった。新着本が届けられたときに目をつけていたものだった。「ほむらひろし/訳」ということにも惹かれたが、怖そうに見える表情をしたオオカミの表紙絵も気に入った。何度か読み込むなかで、いくつか考えてしまうことがあった。 ... 続きをみる
-
ねえ知ってる、豆しばって…
九月最初の三連休後の、しかも朝始業前の時間帯に、読み聞かせの当番があたっていて何がいいのかなと館内の書架を観ていたら、最近購入した小さな絵本が目についた。『豆しば』(荒井良二+キム・ソクウォン 小学館)。荒井良二が描く、なんとも可愛くて個性的なキャラクターの表紙絵。今年の4月発刊である。 職員... 続きをみる
-
7万人の百歳の自然を想う
百歳以上の方が7万人という報道があった。その数が示すことはたくさんあると思う。身近にはいないのでぴんとこない面もあるが、一人一人の人生は全て違うことだし、改めてなんだか人間って凄いと感じる。ただ、それが自然なのかどうかはわからない。不自然な形だったら嫌だなと、無理を承知で考えたりする。 2019... 続きをみる
-
コスモスの道を通った頃
秋日和の週末となった。 コスモスもだいぶ目立ってきた。 先月、資料探しをしていて、見つけた一枚の印刷物。 あっこれは、と思った。 十数年前に赴任した学校の教育目標が 「やさしく たくましい コスモスの子」であった。 何か意味付けできないかと、下手な詩を作って貼りだしたことがあった。 十年以上、忘れ... 続きをみる
-
今じゃないと言い続ける訳
この頃、少しご無沙汰している武田砂鉄のエッセイを読んだら、林修のことが書いていた。流行語大賞となった「いつやるの?今でしょ!」から10年が経つという。様々な場でスピード化が浸透した時期とも言えるか。以前も書いたが個人的に「スピード感を持って」という言い方が妙に気になり始めた頃でもある。 根本的... 続きをみる
-
楽しさと必要感を重ねる
あるアクティビティの入門本を読んでいたら、次のような文章が書かれてあった。特に目新しい考えではないけれど、わかってはいるがなかなか実現できない。 ひょっとしたら今の時代、一番難しいことかなと改めて考えてしまった。 Volume.177 大人たちの側からの「やらせたい」という思惑が透けて見える... 続きをみる
-
身近な俳人がここにもいた
必要があって町内の短詩形(俳句・短歌)に関する書籍を読み始めた。思い出したように下手な句作をすることもあるが、完全に素人なので改めて勉強するような心持ちだ。書架から取り出して目を通し、個人的に驚かされたことがある。身近な知っている人たちが、俳号を持っていたり、句集を出していたりするのだ。 『夜... 続きをみる
-
草木が教えてくれるのは…
先日、近くのグラウンド周りにある樹木の落葉のことを話題にしたら、その理由を教えてくれる方がいた。「葉っぱが枯れずに落ちるのは、木が自分のからだを守るためにそうするらしいよ。」高温の夏、降雨量も少なかった、土から吸い上げる養分を葉には行き渡らせずに、幹や枝などに使うためということだろうか。 基礎... 続きをみる
-
決断、選択せずに済むように
「そのうちなんとかなるだろう」と言えば、私世代以上は植木等を思い浮かべるだろう。「♪カネのない奴は俺んとこへ来い♪」で始まる唄はいくつになっても覚えている。高度成長期の一つの象徴でもあった。あの時代にあった大らかさも感じる。「そのうちどうにもならなくなる」雰囲気の漂う今こそ、思い出したい。 20... 続きをみる
-
-
「三方よし」の矢を放つ
先月知り合いの方からいただいた小冊子を、何気なくめくってみた。「道徳ってなんだろう」と表紙にある。現実的にその問いはめったに耳にすることはないだろう。そしてもし仮に訊かれたとしても、辞書に書かれてあるような意味を求めての状況ではない気がする。教え方に悩む場合も含め、それは生き方の問いだ。 手元... 続きをみる
-
「私の主張」を見ての私の主張(笑)
中学生だけの弁論をまとまった形で聴くのは十年ぶりぐらいかもしれない。所属する団体が共催なので参加を請われ、大仙市まで関係者と一緒に出向いた。県南予選とはいえ、各々の学校で指導を受けている生徒たちであり、一定のレベルに達している。よく暗記できるものだと今さらながら年寄りっぽい感想を抱く。 もちろ... 続きをみる
-
今、また中華の国を想う
昨年の今頃、初めて中国の地を踏んだ。その時見たことや感じたことを「三千年を六日で廻る」と、こじゃれた(笑)題名で書き綴ったことも懐かしい。短い旅でかの国に対する印象が大きく変わったわけではないが、TV等で報道される様々な内容について、時々は実感を持って受け止められるようになった気がする。 香港... 続きをみる
-
-
三度目は、話を迎えにいく
トルストイの話なんて何故選んだのか。考えてみれば当のロシアでさえ、土地がどんな価値を持つか分からなくなった時代だ。「農」の大切さはもちろん不滅だが、それより土地に付随する別の価値、つまり資源や軍事等が幅を利かせている。それらも含めて民話を選ぶことの意味を読み手がしっかり持つ必要がある。 この『... 続きをみる
-
治らないけど治めることはできる
家人が学校に勤めていた頃、書いていた保健だよりのタイトルは「すこやか」だった。勤務校が変わってもそれは変えなかった。いい意味で言えば(笑)不動の目標、揺らがない願いだったからか。人にとって最も大切なのは「健やか」つまり「心身ともに正常であるさま」かもしれない。それはまたそう簡単ではない。 201... 続きをみる
-
お天気を願う日が過ぎて
仕事絡みはあまりなくなったし、盆踊りは3日間だし…最近、一年のうちで一番お天気を願うのは、大曲の花火の日となった。少し寂しい話のようにも思えるが、ここ数年欠かさず足を運んでいるのは、やはり「本物」だと目を見張るからだ。今夏も「灰かぶり」の席で堪能できた。暦通りに夏の終わりを感じた夜... 続きをみる