非言語的表現が使える場
言語の表現も理解も十分にできない子どもは、非言語的表現を多用し、また大人の表現から非言語的メッセージを読み取ることが得意である。 平木典子『児童心理 2008.5』(金子書房) 非言語的表現が一番使えるのは、対面するときであることは言うまでもない。 そうすれば「思い」を伝えたいときに、文字言... 続きをみる
今、頬に感じる風を楽しめれば…
言語の表現も理解も十分にできない子どもは、非言語的表現を多用し、また大人の表現から非言語的メッセージを読み取ることが得意である。 平木典子『児童心理 2008.5』(金子書房) 非言語的表現が一番使えるのは、対面するときであることは言うまでもない。 そうすれば「思い」を伝えたいときに、文字言... 続きをみる
分析批評は、感動に始まって、やがて冷静な論理的思考に終わる学習を目指している。 井関義久 『国語教育2008.5』(明治図書) 「分析批評」には遠い位置にある言葉だと思っていた「感動」。 こんなふうに言い切られると、少し「感動」する。 その表現の素を挙げてみれば、分析批評、感動、論理的... 続きをみる
僕たちが食事をするように、あるいは楽しみで何かのメディアに触れるように、表現されている何かを見たときに感じる共感的な意味での感動の精度はとても低くて、自分に関係のあることがそこで行われていれば人は感動するよ。だけど、その精度や価値を疑うこともやっぱり必要で。 穂村 弘(『新刊展望』5月号より)... 続きをみる
プロは、難しいことをですね単純にするんですよ。アマチュアは簡単なのを難しくする。 延吉正清(NHKプロフェッショナル仕事の流儀 3/11放送) この言葉は、「複雑な病変を簡単に終える」という文脈通りの読み方以上に深みを感じさせる。 授業場面においてもいくつか難しいとされる事柄があるが、その... 続きをみる
そういう社会の細部を支える、温かなネットワークについては、ぜんぜんアメリカの真似をせずに、ドライな競争主義だけを導入しようとしたことで、この十年間、日本は冷たい資本主義社会になってきたと思うのです。 鎌田 實 (『いのちとは何か 別冊宝島1505』) 後戻りできない社会構造のなかで、嘆いたり... 続きをみる
子どもたちの作文の中の『しかし』だとか『けれども』だとか『が』とか『でも』というような、思考や生き方に屈折を与えて考え直すことばが、急速に衰弱してきているように思われることを実際の作文や、子どもたちの行動のあり方の例を挙げて会員の皆さんに訴えたのを思い出す。 『いのちの根を育てる学力』(東井義... 続きをみる
そのテーマを成立するか否かの最終的な責任を、担任教師が背負っていると子どもが判断すれば、お気楽なテーマを選ぶ危険性があります。でも、その責任を自分が背負っていると子どもが判断すれば、責任ある判断をするものだと思いますよ 『忙しい!を誰も言わない学校』(西川純著 東洋館出版社) 「子どもが担うべ... 続きをみる
自分の経験から言うと、五感はいったん言葉に変換しないと記憶できない ビジネス誌に載っていたソムリエ田崎真也の言葉である。 もちろん私たちは全てを言語化して生きているわけではないが、知識とは言語であり、よりたくさんの知識を得ることはよりたくさんの言葉を知ると同じとも言える。 言葉では表現... 続きをみる
私には、いまの子どもは、ある種の無常観すら抱えているように思える。 大人は、子どもがこれほどタフな現実を生きていることを、もっと理解するべきだと思う。 『バカ親、バカ教師にもほどがある』(藤原和博・川端裕人著 PHP新書) 「タフな現実」とは、便利さが築き上げてきた社会のことである。 コ... 続きをみる
今日もまた、さらぴんの一日が始まります。 『東井義雄 一日一言』(致知出版社)の一節である。 「さらぴん」とは広辞苑にはなかったので、おそらく方言なのかなと思う。 ネット検索してみると「新品」「真新しい、おろしたてのモノ」という意味のようだ。 学校は今日が元旦。さらぴん中のさらぴんの一日... 続きをみる