すぷりんぐぶろぐ

今、頬に感じる風を楽しめれば…

2008年4月のブログ記事

  • 非言語的表現が使える場

     言語の表現も理解も十分にできない子どもは、非言語的表現を多用し、また大人の表現から非言語的メッセージを読み取ることが得意である。 平木典子『児童心理 2008.5』(金子書房)  非言語的表現が一番使えるのは、対面するときであることは言うまでもない。  そうすれば「思い」を伝えたいときに、文字言... 続きをみる

  • 艫綱の解かれる日

     艫綱(ともづな)  蠱惑(こわく)  馥郁(ふくいく)  霧笛荘夜話(浅田次郎著 角川文庫)に出てきた言葉だ。今までお目にかかっていない気がする。「ふくいく」は知っていたが漢字としては初対面だ。  ふと、中島みゆきの『命の別名』という歌の冒頭が思い出される。  ♪知らない言葉を覚えるたびに 僕ら... 続きをみる

  • 分析批評は感動に始まる

     分析批評は、感動に始まって、やがて冷静な論理的思考に終わる学習を目指している。   井関義久 『国語教育2008.5』(明治図書)  「分析批評」には遠い位置にある言葉だと思っていた「感動」。  こんなふうに言い切られると、少し「感動」する。  その表現の素を挙げてみれば、分析批評、感動、論理的... 続きをみる

  • 去り際の背中に

     生徒や部下が自分の背中を見ていることに自覚的な人は、あまり多くないと思う。同じように、授業や会議でどんな立派な言葉を並べても、去り際の背中にそれが見られなければ、結局は何の説得力もないことになる。  山辻哲雄『早朝座禅』(祥伝社新書)  言葉や面と向かっての表情の重要性は言うまでもないことだが、... 続きをみる

  • もっと細かにもっと疑って

     僕たちが食事をするように、あるいは楽しみで何かのメディアに触れるように、表現されている何かを見たときに感じる共感的な意味での感動の精度はとても低くて、自分に関係のあることがそこで行われていれば人は感動するよ。だけど、その精度や価値を疑うこともやっぱり必要で。  穂村 弘(『新刊展望』5月号より)... 続きをみる

  • 単純にするための支え

     プロは、難しいことをですね単純にするんですよ。アマチュアは簡単なのを難しくする。  延吉正清(NHKプロフェッショナル仕事の流儀 3/11放送)  この言葉は、「複雑な病変を簡単に終える」という文脈通りの読み方以上に深みを感じさせる。  授業場面においてもいくつか難しいとされる事柄があるが、その... 続きをみる

  • ウェットな資本主義社会

     そういう社会の細部を支える、温かなネットワークについては、ぜんぜんアメリカの真似をせずに、ドライな競争主義だけを導入しようとしたことで、この十年間、日本は冷たい資本主義社会になってきたと思うのです。  鎌田 實 (『いのちとは何か 別冊宝島1505』)  後戻りできない社会構造のなかで、嘆いたり... 続きをみる

  • 切実さを持って考え直す

     子どもたちの作文の中の『しかし』だとか『けれども』だとか『が』とか『でも』というような、思考や生き方に屈折を与えて考え直すことばが、急速に衰弱してきているように思われることを実際の作文や、子どもたちの行動のあり方の例を挙げて会員の皆さんに訴えたのを思い出す。  『いのちの根を育てる学力』(東井義... 続きをみる

  • 汲み取り、伝える

     辛いときに心の支えになってくれた言葉にいくつか出会っています。それらに共通していたのは、私を変えるために発せられた言葉ではなく、私を理解していることを伝える言葉だということでした。  山田ズーニー(『PHP2008.3月臨時号』より)  ここにいわゆる生徒指導の原則がある。  私たちは子どもを変... 続きをみる

  • 諦めの教育

    「確かめられる」価値についてばかり重要視していると、 「確かめられる」ところだけ取り繕った、 つまらないものが増えていくような気がするんだよなぁ。 なによりも、人間のよさについては、 「確かめられる」ことが少ないように思います。 『思い出したら、思い出になった』(糸井重里著)  端的に「確かめられ... 続きをみる

  • 子どもが担うべきもの

     そのテーマを成立するか否かの最終的な責任を、担任教師が背負っていると子どもが判断すれば、お気楽なテーマを選ぶ危険性があります。でも、その責任を自分が背負っていると子どもが判断すれば、責任ある判断をするものだと思いますよ 『忙しい!を誰も言わない学校』(西川純著 東洋館出版社)  「子どもが担うべ... 続きをみる

  • 個人として主体的に

     親たちが、それぞれ個人生活を全うし、子供を個人として主体的に生きさせる。親と子の関係をそうした目で洗い直すことが、いまわれわれの社会でも必要とされている  気骨の作家、故城山三郎の文章である。  城山の子育ては、言葉ではなかったらしい。  「いきなり水をかける」「物置に入れる」「部屋に入れて外か... 続きをみる

  • 取り出すための言語化

     自分の経験から言うと、五感はいったん言葉に変換しないと記憶できない  ビジネス誌に載っていたソムリエ田崎真也の言葉である。    もちろん私たちは全てを言語化して生きているわけではないが、知識とは言語であり、よりたくさんの知識を得ることはよりたくさんの言葉を知ると同じとも言える。  言葉では表現... 続きをみる

  • タフな現実に向かう芯

     私には、いまの子どもは、ある種の無常観すら抱えているように思える。  大人は、子どもがこれほどタフな現実を生きていることを、もっと理解するべきだと思う。  『バカ親、バカ教師にもほどがある』(藤原和博・川端裕人著 PHP新書)  「タフな現実」とは、便利さが築き上げてきた社会のことである。  コ... 続きをみる

  • 知が動き出す場

     クイズ番組を見るのが好きだが、入院したときに一人でそんな番組を見ても全然つまらなかった  ある式の挨拶で、某氏が言われた一言である。  確かに知的好奇心、知的欲求でそうした内容の番組をみることもあるのだろうけど、それ以上にそこに他者もいて、解答を考えあったり、正解を知っていることを少し自慢してみ... 続きをみる

  • 個性と死

     人が大事で、個性が大事で、社会は個性を大事にするように動こうという考えは、つまり日常生活から死が遠ざかってる社会である。  死の隠蔽と個性の尊重は表裏にある。  講談社のPR誌『本』2月号に、コラムニストの堀井憲一郎が書いている文である。落語に関しての連載であり、「左利きのサムライはいたか」とい... 続きをみる

  • レッテル剥がしから

     自分にレッテルを貼る行為は、相手を自分に合わさせようとしたり、自分は相手への強調や妥協を拒否しようとする、傲慢な姿勢でもあるのです。 『憎まれ役』(野村克也・野中広務著 文藝春秋)で野村克也は語る。  「僕は~~しない人だから」「私ってこういう人だから」といった言葉に、違和感を覚えたのはいつだっ... 続きをみる

  • さらぴんの一日を続ける

     今日もまた、さらぴんの一日が始まります。  『東井義雄 一日一言』(致知出版社)の一節である。  「さらぴん」とは広辞苑にはなかったので、おそらく方言なのかなと思う。  ネット検索してみると「新品」「真新しい、おろしたてのモノ」という意味のようだ。  学校は今日が元旦。さらぴん中のさらぴんの一日... 続きをみる