すぷりんぐぶろぐ

今、頬に感じる風を楽しめれば…

読書録26~「それ」を求める日

すぷりんぐ


 「ひとの年齢というのは、ひとが心の中にもつ問題の数なのだ。」と記している。この一冊は、詩人の父から子へ20年間にわたって書き継がれた作品群という構成を持つ。だから二十歳くらいまでだったら、年齢と問題の数は同期しているのかもしれない。では、70歳近い読者(そう自分のことだが)にはどうなのか。


 一つずつ書き出し70挙げることはできるだろう。ただ、はたしてそれらは「問題」と言えるのか…他愛のないことを想いつつ、心の中に迫る二篇があった。

それは窓に射す日の光りのなかにある。
それはキンモクセイの木の影のなかにある。
それは日々にありふれたもののなかにある。


 こう始まる「それは」という題の15行詩は、読み進むと「それとは、あのことか」という想念が浮かび、つい言語化したくなる。しかし最終行はこう結ばれる。

それが何か、いえないものがある。


 口にすることで失われてしまうものは何だろう。いや、言語化することによって「それ」を全て表す、伝えることなど不可能なのだ。言えば「それ」は固くなり、縮こまり、くすんだり…。だから言葉などに置き換えずに、たとえば誰かとじっと横に並んでいたりする、空間や時間のなかに浮かんでくるのではないか。


 最後に収められている「砂時計の砂の音」。変な形容だがまるで説明文のように心の中にストンとおちた。砂時計の砂は繰り返しの使用に耐えるように、入念に磨かれたものだ。けれども、どんな砂であっても互いに擦れ合い細っていく。だから「だんだん早く落ちてゆくようになる」という。その音に耳を澄まさねば…。
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