この国の今年の夏の無事祝う
次々に昨夜の大曲の花火動画がネット上にアップされてくる。様々な人が様々な思いで撮影し作成し、そして公開するわけだが、ふとこんなことを思った。数多くの人が集中して似たような情報を挙げているとき、こうした機会に自問自答してみるとネット活用の肝が見えてくるのではないか。春の桜満開時もそうだ。
予想はしていたが、フェイクというかニセ動画というか、そんなものまで出回った。住宅地から撮った仕様で「あれっ」とすぐに思った。こんなふうに見えるわけがないし、編集も明らかに変だ。AIなんだろう。「きれい過ぎる・整い過ぎる」のが見抜くコツか。事実や自然はいつもどこか歪だ。凄い教訓(笑)を得た。
一昨年行ったきりで、去年から見送っている大曲の花火。それでも当日はなんとなく天気は気になるし、夕方になると「今頃、昼花火か」と家人と会話した。TV生中継は録画しつつ、前半だけは観た。今年は雨も降らず、風が適度なので見栄えも良かった。「近来にない良いコンディション」と新聞にも書いてあった。

ということで今年のではなく、足しげく通っていた10年前の夏のショット
競技大会としての結果も公表された。地元の小松煙火が栄誉を得た。花火師たちの泣き笑いもあったろうか。『文藝春秋』誌の今月号に、日本一と称される野村陽一は「花火は平和で平穏な時代でなければ上がらない」と記した。戦争と火薬、経済の影響…その意味で典型的だ。この国、今年の夏は無事に上がった。