クマ、熊、そして能力
確かにクマの出没に関わる危機感は、幾度となく繰り返されてきた。しかし、これほどまでに重大な事態になると予想できていた人がどのくらい居たのだろうか。専門家と称される方々はもちろんその可能性について言及していただろう。ただ、実際にこうした状況を突き付けられると、改めて人間の無力さを感じる。

2020年からのコロナ感染と似たような感覚を持つ。具体的に挙げてみれば、最初は自分にはあまり関わりがない(罹らない、遭遇しない等)と思った。そして死傷者が酷くなってくると恐怖の気持が徐々に増してくる。出遭ってしまったら手の打ちようがない。「いつでも、誰でも、どこでも」が現実味を帯びている。
そしてまた、これに便乗したようなフェイク情報が出回る。そうした輩の魂胆は知れており、考えてみると人間の愚かさの象徴でもあろう。虚栄心や金儲けのためにそうした行為に走ることは、一見無関係に見えても深い所で問題とする事態と繋がるのではないか。責任の所在を心に留めておきながらの対策でありたい。
恥じるべき記憶がある。もう40年も前の話だ。当時もクマ出没が話題になっていた。ある民間研究会に泊りがけで出かけ自己紹介をする折に、クマ撃退法を考えて話したことがある。むろん何の根拠なしにただウケをねらった作り話である。見事にすべったのは当然であり、今自分が口にする批判対象と同レベルだ。
「熊」は、「能」+「火(れんが)」の会意文字で、意味は「肥えて脂肪ののったくまの肉がよく燃えること」を示す(学研漢和大辞典より)。火の精の獣とされる。そして「能」は「かめや、くまのようにねばり強い力を備えて働くこと」。昔、崇められた獣に立ち向かう「能力」が私たちに問われているのだと思う。