名前を待ちながら…足は止めるな
先月、繰り返し読んだ『ゆきのしたのなまえ』の中に、印象的なというかそれが主題にもつながると思う一節がある。
こころにとってかけがえのないものに、いつもなまえがあるとはかぎらないのさ。
そう語る祖父は、実は大切な「名前」を知っていて、それを「そっとひみつにしておくのさ」という形で物語は締めくくられる。いくつかの解釈ができる素敵なエンディングだと感じた。その余韻に浸っている時に見つけた一冊がこちら。

『ぼくたちが越してきた日からそいつはそこにいた』
(ローダ・レヴィーン 文 エドワード・ゴーリー・絵 柴田元幸・訳)
これは、引っ越し先の庭にいた大型犬が「何かを待っている」ような気配を見せていて、家族とくに「ぼく」と弟の「オクドン」があれこれ働きかける話だ。必死に考えいろいろなモノを試してみて、「そして突然ぼくは」ひらめいたのだった。
名前がほしいんだ! あいつは名前を待っているんだ!
その後の展開、そして結末は…あえて書かないが、実に欧米らしい(笑)ように思った。「名前」で関連付けると、国内絵本では下記の『なまえのないねこ』という竹下文子・文、町田尚子・絵による秀作がある。私も何度か読み聞かせをした大好きな一冊だ。しかし今その結末はいかにも日本的だなあと感じてしまう。

「名づけ」に対する興味は昔からあった。特に市町村合併や学校統合問題に面した時に、「人は何故これほど名前にこだわるのか」を考えさせられた。名づけは「わかる」と密接に結びつく。わかることによって安心し、次へ進む手がかりと捉えるイメージが強い。ただ、そこに留まっていては拡がりは持てない…
本当にたまたま読んだ文庫でも、そのことを考えさせられた。それは明日。