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今、頬に感じる風を楽しめれば…

「庚申の夜」に待っていること

すぷりんぐ

 昨日は気持ちの良い秋晴れだった。今朝は、起きぬけの窓に朝焼けは映ったが雲の重なりをみても天気予報通りに崩れていくかなと感じた。自転車に乗り近所のコンビニへ向かう。少しずつ秋が深まっていき、道々目につく花々も鮮やかさを失いつつある。けれど、名の知らない草花は今が盛りのように、ここそこに在る。

 

 

 今年初めて、野球中継を最初から最後まで見通した。ドジャースのリーグ優勝決定戦である。大谷が登板して6回まで投げ、調子を落としていた打撃があまりに見事に復調し、気持のいい時間となった。力量と向上心を持つ日本のプレイヤーたちが世界を目指す意義を、先日のサッカー、ブラジル戦同様に強く思い知らされた。

 

 午後、来週は小学校高学年への読み聞かせが2つあり、その準備に入る。今回選んだ一冊は「びじゅつのゆうえんち」という企画シリーズで、世界の名画が並んでいる。アーサー・ビナードの詩集やエッセイを読んでいて検索し見つけた。「くうきのかお」という題名は、それだけでインパクトがある。どう開くか。

 

  個別に読む場合と集団で読む場合(いわゆる読み聞かせ)の大きな違いは、ページをめくる速さと見返しの柔軟性にある。「びじゅつ」を冠した絵本で難しいのは時間調整か。「待つ」つまりどの程度で「見切る」か。しかし、仮に「あっあっもっと…」というページがあったとすれば、そんな感情が出ただけでも成功か。

 

 「庚申の夜」は、大河ドラマ「光る君へ」で印象的だった。「三尸(さんし)の虫」が体内から脱け出し天帝へ罪状を報告せぬように、眠らずに見張る謂われによるが、ただでさえ何度も目覚める高齢者には酷な話だ。逆にいくらでも報告しろ!という気分になる。寝ないで過ごす庚申の夜に、深い眠りだけを待っている。

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