国語教育としての音読
国語教育としての音読は、意味を無視してはいけない。意味を重視するあまり、他を無視してもいけない。意味をとらえ、意味を伝えるものでなければならない。 高橋俊三「国語教育 2006.4」(明治図書) どこで意味をとらえるか、という問題である。 「どこ」とは、一つは学習者の感覚であり もう一つは学習の段... 続きをみる
今、頬に感じる風を楽しめれば…
国語教育としての音読は、意味を無視してはいけない。意味を重視するあまり、他を無視してもいけない。意味をとらえ、意味を伝えるものでなければならない。 高橋俊三「国語教育 2006.4」(明治図書) どこで意味をとらえるか、という問題である。 「どこ」とは、一つは学習者の感覚であり もう一つは学習の段... 続きをみる
所得格差の拡大によって「勝ち組」「負け組」が顕在化し、子どもの学力や学習意欲も、親の所得や家庭の文化によって二極化しつつあることが指摘されている。家庭の教育力に格差のあることが明確になったから、教師力、学校力に、格差是正を期待する。そういうことではないのか。 勝方信一「学校マネジメント 2006.... 続きをみる
子どもたちが求めているのは、決しておもしろおかしい先生ではありません。「どんな小さな悩みでも一生懸命聞いてくれる」先生であり、意外にも「自分のことをいろいろ話してくれる」先生なのです。しかしながら、「子どもの声をよく聴いて自分を語る」ことが、なかなか容易でないことは皆様のほうがよくご存知ですね。も... 続きをみる
記憶が曖昧だからこそ、そこに遊びや余裕が生まれます。これとあれを結び付けてみようという「知の連合」が可能になります。そういう意味で、記憶力と独創性は反比例すると思いますよ。 池谷裕二「プレジデント 2006.3.20」(プレジデント社) 状況の変化に応じて、知識を活用していくためには 記憶があまり... 続きをみる
ある場で生まれた力や自信を、他の場所へも発展させる。これは、小学校教師に必要な技である。 岩下修『国語の授業力を劇的に高めるとっておきの技法30』(明治図書) 学級担任という仕事のメリットはそこにある。 この、いつでもどこでもできる技を 意識的に使いこなしている教師がどれほどいるのか。 言語として... 続きをみる
授業で子どもが発したもの、表情、手の動きなど、何一つ子どもの動きや声に無駄はないとおもっています。無駄にするのは、先生だと思います。だから無駄にしないようにしてあげれば、子どもはどんどん、素直に出力してくれます。 和田裕枝~名古屋フォーラム「子どもを伸ばす教師力」セミナー・模擬授業解説より~ 「表... 続きをみる
教育界では、基本的に前例主義であり、運動会も学芸会も、その原案は前年度のものがベースになります。変化はほんの少しずつ取り入れるような仕組みになっているのです。 学校という組織のこの性格が、流れの速い社会の動きと次第にズレてきているのです。 堀田龍也『できる教師のデジタル仕事術』(時事通信社) 社会... 続きをみる
知識で整理していけない限り、力はつかない 野口芳宏~日本言語技術教育学会大阪大会の発言より~ メモせざるを得なかったこの短い発言は ともすれば聞き逃してしまいがちな 当たり前といえば当たり前のことなのだが きっと、自分の現況を見事にあらわしているのだろう。 例えば、学習指導上の問題点 例えば、研究... 続きをみる
教師たるもの、 「何としても、毎日子どもをほめる習慣をつけること」である。 これは「義務」であるとわたしは考えている。 有田和正「授業研究21 2006.3」(明治図書) 今日、誰をどこでどのようにほめることができたか 二つや三つは軽く言えるようでなければ 習慣がついているとは言えないだろう。 教... 続きをみる